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触るミュージアム! 慶應義塾大学 日吉学レポート(前篇)

2016年10月28日 書いた人:ホリユキハ
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はじめまして。

どぐぽたの新入り、ホリ ユキハです。

 

博物館で見た土器から縄文文化に魅せられて、

現在は縄文時代の耳飾り形のアクセサリーを制作しています。

 

先日、慶應義塾大学日吉キャンパスにて日吉学が行われました。

この講座に“木彫りのヤス”こと、どぐぽたメンバーで木彫り土偶作家のヤスさんが講師として参加しました。

 

日吉学とは慶應義塾の中学生から大学院生が参加して毎年行われる実験授業のことで、

2016 年度のテーマは「縄文」!

全3回の講座があります。

 

第1回目の「触る!楽しむ!縄文ミュージアム」では、

青森県亀ヶ岡遺跡、三内丸山遺跡出土の土器や土偶など選りすぐりの優品を展示した1日限りの縄文博物館が開館されるということで、縄文初心者の私にも楽しそうな内容です。

 

でもなぜ木彫作家のヤスさんが講師として呼ばれたのでしょうか?

期待とちょっとの疑問を持って参加してきたのでレポートします。

 

 

 

貝塚散歩

 

日吉キャンパス内にある教室で今回の講師である安藤先生とヤス先生や学生さんと合流。

講座はキャンパスから少し離れた西別館で行われるそうで、みんなで出発しました。

 

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縄文時代の日吉近辺には海岸があったそうで、渡された地図を見ると至る所に貝塚があったことがわかります。

徒歩約10分の道のりを、貝塚を巡りながら歩いていきます。

 

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赤丸は貝塚があった場所。貝塚がいっぱい!

(黄が慶應日吉キャンパス、青が西別館、緑が日吉駅)

 

 

歩いている間にも、工事中で掘り返されていた土を見つけては、

「ここの土は黒いから掘ってみると遺物が出るかもしれない」

「ほらあの白いの、貝じゃない?!」とか。

 

赤い土を見つけては、

「これは関東ローム層ですよ」

いちまんねんパフェの関東ロームースだ!意外と赤いなぁ」とか。

 

他にも学校のグラウンドに竪穴式住居址があった話などなど。

縄文ファンをくすぐる道のり。

貝塚散歩、楽しい!

これからは墳ピクじゃなく、貝塚散歩の時代です。

 

 

 

プログラム開始

 

貝塚散歩を楽しんだ一行は西別館に到着。

室内では三内丸山や亀ヶ岡の優品がいっぱい。

目移りしてどこを見ればいいのかわからない…!!

 

 

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講師の安藤先生(右)とヤス先生(左)

 

 

プログラムは縄文時代のイメージについて話し合うグループワークから始まり、

講師のレクチャー、展示解説、縄文についてのまとめのグループワーク、総括、

という流れで進んでいきます。

 

私たちは学生さんがグループワークを行っている間に、並べられた遺物を見学させてもらいました。

三内丸山遺跡出土の遺物や、遮光器土偶の出土で有名な亀ヶ岡文化のもの、そしてヤス先生の木彫土偶もずらりと並んでいます。

しかも触っていいんです!

 

 

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亀ヶ岡文化の遺物が並ぶ。奥に見えるのは漆です。

次号のテーマが青森だという縄文zine編集長も楽しそうでした。

 

 

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ゴジラ型(?)骨角器

 

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ヤスさんの作品が一堂に。これもう個展のレベルです。

 

 

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木彫土偶の隣に本物の土偶が並べられた贅沢な展示。

 

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石棒もありました。


 

 

時代と縄文観

 

最初のグループワークの発表では縄文のイメージとして、

・狩猟採集漁労の生活

・土器

・土偶

・平和

・戦争がない

などの言葉が各班に共通して見られました。

縄文のことって学校では少ししか習わないし、最初にイメージする言葉ってだいたいこんな感じかなと思います。

 

 

続いて安藤先生のレクチャーです。

縄文時代について「行き詰まり論」と「ユートピア論」の2つのイメージの説明がありました。

縄文行き詰まり論とは戦後から1960年代までの主流であった見方で、進化論的な考えから稲作以降に道具が発展し文化が栄えたとするもので、縄文晩期後半に生業面で行き詰まりがあったことを前提とする晩期停滞論のことです。

 

その後1970年代に入ると、縄文ユートピア論が盛んになります。

文化人類学が発達したことや発掘調査が進み、縄文時代の人々が漆などの高い技術を持っていたことがわかり、出土品の中に狩猟道具はあっても人を傷つける道具である武器の類は出ていないそうで、縄文時代に平和で豊かな暮らしを見たのがユートピア論です。

 

 

これは研究の話ですが、身近にもいますよね。

縄文についてあまり興味を持っていない友人に、ついつい縄文時代の話をしてしまった時に、

「縄文人って貧しい生活をしてたんでしょ。大変そうだよねー」

と言われることがあります。

そういう人は行き詰まりのイメージを持っているのだろうなぁ。

 

反対に、

「縄文時代はみんな平等で平和な時代だったんだよね?そういうのって今の時代にも大事な精神だよね」

とか言ってくる人はユートピア観を持ったタイプかなー。

 

 

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話をされる安藤先生

 

 

 

亀ヶ岡文化の見直し

 

それから縄文時代晩期の亀ヶ岡文化の見直しという話をされました。

北海道南部から関東北部にかけて共通した土器や土偶などが分布した亀ヶ岡文化の頃は、人口が減少していた時期と重なります。

人口が減り集落も分散していく中で、優れた文化が隆盛したって不思議ですよね。

社会の維持や仲間意識を高める目的としての芸術・技術・造形の役割があったのではないか、ということでした。

 

祖父から孫の代へと終末の空気が広がっていく世界で、彼らはどんな思いを込めて土偶を作っていたんでしょうか。

 

 

 

長くなったので次回に続きます。

ヤス先生登場まで、もうしばらくお待ちください!