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『横浜に稲作がやってきた!?』展見学記~横浜市歴史博物館

2017年11月9日 書いた人:ヤケマチ
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「弥生時代の始まり」は「縄文時代の終わり」。

「縄文」はどのように「弥生」などというものに取ってかわられてしまったのか。

見たくない歴史も見るのが正しい縄文ファンではないですか?

どくぽた編集部も、横浜市歴史博物館『横浜に稲作がやってきた!?』展にやってきた。

 

土器ファン必見、弥生土器入門

『横浜に稲作がやってきた!?』展は2部構成となっており、第2部は近年めざましい成果をあげている種子圧痕法をはじめとする最新の研究成果をもとに、南関東の弥生人たちが実際にどのような生活を送ってきたのか、つっこんだ展示がなされています。

どくぽたは第1部、土器展示を中心にレポートします。なぜかといえば、土器が好きだから。

 

『横浜に稲作がやってきた!?』第1部土器編。

土器ファンがいつも悩まされるのは、専門書や報告書の記述の難しさ、とりわけ「◯◯文(もん)」的な用語のとっつきの悪さです。

「図12-3は口縁部に横T字文と図5-14に類似する反転渦巻文が交互に配置され、胴部は図2-8にと同様垂下するクランク文の空間に図36-2に見られる三叉文や交互刺突文を充塡しており…」

◯◯文ってなんやねんと先のページをめくったり前のページに戻ったりしてるうち、そもそも何が知りたかったのかわからなくなってしまったり。

『横浜に稲作がやってきた!?』展でまず目をひくのが、南関東弥生土器変遷のキーワードとなる文様について「用語」「図版」「実物」が一目でわかる仕掛けです。

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疑似流水文。銅鐸などに施されている、流れる水のような文様にも似た櫛描文。

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丁字文(ちょうじもん)とか言われてピンとくる人いるのかな?

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王字文。いわれてみれば「王」の字だが、いわれなければわからん。

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充塡鋸歯文。いわれなくてもわかるっちゃあわかるけど、いわれると安心する。

 

また南関東弥生土器は、それぞれの文様のルーツがかなりはっきりしている特徴があり、その故地が色分け表示されています。

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手取り足取りというか、痒いところにジャストミートというか、弥生土器よくわからん縄文ファンもたっぷり土器に淫することができます。ありそうでなかなかないホスピタリティ。縄文土器展でもぜひこういうの、やってもらいたいものです。

 

土器で見る弥生の始まりと縄文の終わり

南関東弥生土器はどのように誕生したか。

そこにどんな人や情報の動きがあったのか。

弥生化がどのように進行していったのか。

縄文文化はどのように消えていったのか。

The answer is drawin’ on the pottery.

 

中屋敷式土器の時代

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弥生時代前期後葉、小田原市中屋敷遺跡。縄文フードなトチやクリなどの堅果類ととも、イネの炭化種実がまとまって発見され、今のところ南関東でコメを食べた人がいたと思われる最古の例とされています。栗ごはんか。炭素年代だと紀元前5世紀前後とされる。ただし水田遺構も定住的なムラの痕跡も発見されず、人々はなお縄文晩期以来の移動の多い生活をしていたらしい。

関東で最初にコメ喰った人の使ってた土器がこちら。

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縄文土器じゃないか!

これらの土器にあしらわれた工字文、変形工字文は縄文時代晩期、亀ヶ岡式土器由来の文様そのもので、稲作民が西から集団移住してきた土器とは考えにくい。

 

平沢式土器の時代

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続く弥生時代中期前半。首の長く伸びた壷は縄文時代にはあまり見られず、関東に新時代がやってきた感、出てきました。

とはいえ縄文地紋の上にびっしりと描かれた文様は雄渾で荒々しく、縄文ファンの心をわしづかみするに足るテイスティ。

 

中里式土器の時代

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小田原市中里遺跡は、環濠や方形周溝墓など西日本弥生文化の特徴を備えた巨大集落で、弥生時代中期中葉、関東での大規模な稲作ムラの出現を告げる画期的な遺跡とされています。

大量に出土した土器の中には近畿、中部、北陸から北関東、南東北まで、さまざまな地域から持ち込まれた外来系土器が見つかっています。

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注目はこれ。近畿のなかでも瀬戸内海沿岸東部(尼崎とか芦屋とか西宮とかそのあたりか?)というところまで、その出自がつきとめられているそうです。弥生土器研究すごい。遠く関西から小田原までやってきた彼らは最新の弥生テクノロジーを身につけていたのでしょう。そして「…東部瀬戸内の人々の到来を伝え聞いて、東日本各地から人々が中里の地にやって来たのだろう(『横浜に稲作がやってきた!?』図録より)」とのこと。

 

ただし、関東最初期の稲作ムラの出現といえど、中里遺跡で主体となる土器はまだまだこんな感じ。

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太く深く描く。

スペースを埋め尽くす。

複数のモチーフを混在させる。

縄文施文を捨てない。

 

宮ノ台式土器の時代へ

弥生中期後葉。中里遺跡で見られたような大型弥生集落が、南関東各地を次々と席巻していく時代。

本格的な関東弥生文化の到来。

本格的な関東縄文文化の消滅。

宮ノ台式土器の時代です。

 

宮ノ台式土器誕生期

関東弥生文化の画期を象徴する宮ノ台式土器。

キーワードは櫛歯状工具を流麗にあやつる東海系櫛描文。宮ノ台式土器に描かれた櫛描文は浜名湖の東、菊川流域を中心とする東遠江地域にルーツがしぼられ、その成立にかの地の人々の直接的な関与が考えられるとのことです。弥生土器研究すごい。

 

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東海系櫛描文の採用で土器の顔つきがずいぶん変わってきた。コテコテ感はなお健在。

 

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中里式以来の縄文系文様もいくぶん雑に変容しながら次代へと続く。

 

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縄文地紋の文様と櫛描文をめいっぱい詰め込んでみたらこうなった。コの字を重ねたようなモチーフは北関東に由来するものだそうで、宮ノ台式土器成立をめぐる複雑な事情がおもんぱかられる。

 

宮ノ台式土器完成期

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横浜市歴史博物館に隣接する大塚歳勝土遺跡をはじめ弥生集落が密集して登場し、いよいよ関東弥生社会が新たなステージを迎える。

宮ノ台式土器もまた新たなステージへ。

 

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文様構成が整理され、ムリヤリ感がなくなって、スッキリ洗練された印象。

 

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菱形文→X字文と変容退化してきた縄文系文様は、ヒモの結び目のような結紐文(けっちゅうもん)としてリニューアル、宮ノ台式土器を代表するモチーフとして定着する。

 

伝統的な縄文系文様と、東海地方由来の櫛描文がバランスよく均衡する完成期の宮ノ台式土器は、稲作社会というあたらしい社会構造の安定化を示しているのかもしれません。

 

宮ノ台式土器終末期

宮ノ台式土器はその後半から大きく顔つきを変えていきます。

宮ノ台式土器に欠かせなかった櫛描文の消滅。

かつて器面の多くを占拠していた文様域の急速な縮小。

朱彩土器の増加。

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このあたりまで来ると、教科書などで見てきた弥生土器のイメージとそう大きなギャップはなく、縄文土器の名残を見ることもむずかしい。

横浜に弥生時代がやってきた。

 


 

縄文土器。弥生土器。どっちも土器である。

文様がいろいろな要因を受けながら、まるで生き物のように発展と衰退を繰り返していく。土器ファン的にはもうそれだけで愉悦のひとときである。

縄文ファン視線だとどうか。

「弥生時代の始まり」は「縄文時代の終わり」と書きました。

横浜の土器の変化を見るかぎり、ふたつの文化の移り変わりは漸進的で、たとえば西から稲作民がやってきて在地の縄文人を駆逐するような劇的な状況は考えにくい。縄文ファンは「縄文vs弥生」みたいな言い方が大好きだけど、そろそろイメージ変えたほうがいいのかな。

縄文文化の死はここ横浜でゆっくりと進行し、死に顔はおだやかであったという…。

 


 

横浜市歴史博物館平成29年度企画展『横浜に稲作がやってきた!?』

いよいよ今週末、11月12日(日)までです!